Category : あなたの知らない囲碁将棋の世界

職業、棋士は江戸時代に始まった!

囲碁の歴史は古く囲碁は古代中国の時代にはあったそうで将棋も発祥を古代のインドにさかのぼるそうです。ではプロの棋士というのはいつごろから生まれたのでしょうか?

有力者の娯楽

日本においてプロ、つまり職業としての棋士が登場するのは江戸時代に入ってからです。それ以前に室町時代の末期には有力者が碁の上手い「碁打ち」と呼ばれる半専業の人たちを抱えて競わせるようになります。

その後戦国時代を経て豊臣秀吉の天下になると本因坊算砂が20石20人扶持を得るようになります。この時に碁を仕事とする碁所ができたという説があります。その後徳川家康が幕府を開くと、碁や将棋の好きな家康から本因坊算砂、大橋宗圭らの実力者8人を招き、俸禄を与えました。俸禄を得たことで囲碁・将棋は幕府公認の職業となりました。

江戸時代の家元制度の確立

幕府の公認となった囲碁や将棋は本因坊算砂を初めとする本因坊家、井上家、安井家、林家の四家が碁の家元と呼ばれるようになりました。同様に将棋にも家元が存在しています。

本因坊算砂と共に俸禄を受けることになった大橋宗圭を始まりとする大橋家、大橋分家、伊藤家です。これらの家元制度は基本的には世襲制を取っていましたがその多くは血筋よりも実力により決められていました。では当時のプロである棋士たちはどのようなことをしていたのでしょうか。

碁所・将棋所

碁打ちや将棋指しを取りまとめる役職でそれぞれの家元から選ばれており、1662年には幕府の役職整理の過程で囲碁、将棋が寺社奉行の管轄に組み込まれました。就任には名人の技量が必要だったようです。この地位を得るために家元は競い合い、時には政治工作もおこなわれました。

特に碁所で起きた「天保の暗闘」と呼ばれる抗争は水戸藩主徳川斉昭をはじめとした時の老中、寺社奉行も巻き込んだこともあったということです。しかし最近の研究によるとこの二つの役職は名人家が独自に名乗っていた称号のようなものという話もあります。

御城碁・御城将棋

碁・将棋の家元の跡目や七段以上の棋士が江戸城に呼ばれ将軍や老中の前で碁や将棋を披露すること催しの事を言います。この御城碁・御城将棋が名人の位を得るための舞台にもなりました。1645年に本因坊算悦と安井算知の二人が碁の名人位を競って行った争碁が江戸城での御城碁の始まりと言います。御城将棋も同様に開催されており、共に徳川吉宗の時代にはそれまで不定期で開催されていたのが旧暦の11月17日に行われるようになりました。現在では11月17日が将棋の日とされています。この催しは一日で対局が終わらないこともありましたので事前に対局を行い当日その棋譜を並べていく下打ちという方式が始められました。場合によっては当日将軍の御声掛かりでその場で行う対局、将軍や使える武士に指導対局も行っていました。これが江戸時代の棋士の主な仕事だったのです。

このように棋士の職業化は江戸時代に始まりました。時には商家などのいわゆる町人が家元の門下となり段位を得て棋士として活躍する人もいました。しかし、この碁所と将棋所は幕末の安政大地震により御城碁・御城将棋が中止になり幕末期の混乱に入ってしまい幕府多忙により中止が相次ぎ1864年、ここに江戸時代から始まった碁所・将棋所の幕を閉じました。それから明治維新に入って後ろ盾を失った家元たちは俸給もなくなり名人の世襲から推薦制に移行、昭和になって現在の実力名人性となったのです。

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