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将棋の初代名人、大橋宗桂

囲碁にも将棋にも名人と呼ばれる人はいます。では将棋における最初の名人はどんな人だったのでしょうか。囲碁の本因坊算砂と共に江戸幕府から俸禄を与えられ職業棋士の始まりとなった人物、大橋宗圭をご紹介します。

大橋宗桂とは

室町時代後期、安土桃山時代の頃の京都には将棋や碁を指すことを仕事とした芸人、遊芸師と呼ばれる人たちがいました。大橋宗圭はそんな京都の町人の生まれだったといわれています。比較的裕福な生まれだったと考えられる宗圭は当初、「宗金」「宗慶」と名乗っていましたが織田信長から桂馬の使い方が上手いと褒められ「宗桂」と名乗ったといわれています。

宗桂は織田信長・豊臣秀吉・徳川家康らに将棋、時には囲碁も披露していました。当時は囲碁や将棋を指せる人はどちらもできるのがほとんどでした。宗桂もその一人で将棋指しとして名前を残していますが碁会にも呼ばれている記録があることから碁も相当強かったようです。

将棋差しとして江戸幕府から招かれる

宗桂はその後も自分の将棋の腕前と囲碁の本因坊算砂と共に有力者と交流し、囲碁・将棋の芸としての地位向上に大きく貢献しました。そして囲碁、将棋好きの徳川家康が幕府を作ったころになると正式に徳川家康から本因坊算砂を初めとした8人の碁打ち将棋指しの一人として50石を与えられ正式に江戸幕府に仕えることになります。

当初は算砂が将棋所という役目を碁所とともに兼任しましたがその後、将棋所は大橋宗桂に譲られたそうです。この時から将棋家元、大橋家が始まり江戸幕府の終わりまで活躍しました。ちなみにこの時代、名人の棋士は僧侶の姿を取るのが一般的だったため大橋宗桂も僧の姿をしていたそうです。

日本最古の棋譜を残す

日本の将棋の棋譜で最古のものは日蓮宗の開祖、日蓮が弟子と打ったもの、と言われていますがこれには疑わしいとの評価もあります。そのため最古の棋譜として現在判明しているのが本因坊算砂との8局です。大橋宗桂と本因坊算砂の勝負は7勝1敗で大橋宗桂の勝ち越しだったそうですが、最近の調査でこの大局をコンピューターで解析した所によるとかなりの接戦だったことが分かっています。

最古の詰将棋集「象戯造物」

大橋宗桂の残したものとして現存する最古の詰将棋集「象戯造物」があります。詰将棋とは駒が配置された局面から王手の連続で相手の玉将を詰めていくパズルのことを言います。大橋宗桂の詰将棋集は終盤の考え方を教えるものであり現在の詰将棋のような最短手順ではありません。

特に宗桂の詰将棋で有名なのは「香歩問題」と呼ばれているものがあり、この問題はその後の大道詰将棋という道端で詰将棋の問題を出して商売をするという場でもよく使われたらしく、大いに庶民の頭を悩ませることになりました。また、この最古の棋譜集は公家の山科言経を通じて当時の後陽成天皇に献上したそうです。また、将棋所に就任して以降に幕府に作品を献上しており、その後の名人位についた棋士はこれに倣い、名人になったら作品集を献上する、という習慣も生まれました。

大橋宗桂について紹介しましたがいかがでしたでしょうか。将棋の腕前を持って碁の本因坊算砂と共に三英傑に認められ将棋家元の基礎を作り、ただの芸であった将棋を職業として認めさせた功績は現在のプロ棋士に成立にもつながると考えるとすごいですね。これを機に将棋を始めてみたいという人たちは彼らの残した詰将棋を読んでみてみるのもいいかもしれません。

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